我武道人生 {柔道編}

柔道編

 小学校の頃、科学部じゃったっけ。4年生ぐらいから太ってきて制服は肥満体用を着とった。
 学校から帰って毎日インスタントラーメンを食っとった。ほとんど、「出前一丁」。
 いつのまにか走るんは遅うなり、運動が苦手になった。小学校1・2年の頃は運動会の選手リレーに出よったんじゃが。
 当時、まわりはジュニアの野球チームか柔道を習う友達が多かった。わしは習字とそろばんを習いよったのぉ。
 運動嫌いの小学生時代、これじゃあいけんとゆう思いはずっとあったが、どうにもならず、デブは小学校を卒業し、中学生になった。

 廿日市中学は、何か部活をしなければならない決まり。
 特にやりたいもんはなかった、友達数人とバスケットボール部に入ろうと決めとった。
 でもなぜか柔道部に入ってしまった。友達からは「なにを急に」と言われた。自分でもそう思った。
 なんで急に柔道部に入ったんか?なんでじゃ?
 よお遊んどった、「イック」「クリゴン」が柔道しおったからか、当時学年のボスみたいな「シゲタ」に柔道部に入ろうやと誘われたからか、体育館であった部活紹介で当時3年の「大野さん」が ― 男はだまって柔道部 ―と一言で決めたからか。
 多分、全部が絡まったけえじゃろう、ほいでもう一つ、今までの自分から抜け出すチャンスを見つけたけえじゃろう。
 今までの自分ゆうのは、太ってからゆうものすべてに自信喪失、痩せる努力もせん後ろ向きの人見知りの赤面症の運動会ギライ。なんとかせんにゃあ。

 ついに自分でもビックリした柔道部に入部、未経験者もおったが圧倒的に小学校からの経験者がほとんど。
 ほいじゃが、今思うたら、いきなりつらい状況に陥った。柔道部には校内順位とゆうもんがあり、なぜかわしは一番下、先生からは「下っ端」と呼ばれた。
 「下っ端」の仕事はいろいろあった。先輩や同級生の連絡役、昼休みのサーキットトレーニングに来てない人を呼びに行く等、とにかく「下っ端」が率先して動かにゃあいけんかった。
 このときのやり切れん思いは忘れん、ほいで本格的な縦社会とゆうもんに初めて触れた気がする。この思いを胸に秘めて「下っ端」から逃れることがこの時の目標になった。
 「下っ端」から逃れるためには、校内予選に勝つ必要がある。柔道の実力がないヤツが「下っ端」となる。確か1ヶ月か2ヶ月に1回総当り戦をして順位を決めとった。
 目標は持ったものの、まずは受身から習う、技を習う前に自分の身体を守る術を知らんにゃあケガするけえ。受身一つも素人にとっちゃあできんもんで本来なら守らんにゃあいけん頭を毎回毎度しこたま青畳で打つ、おかげで半年間の頭痛を経験、毎日いつも頭ん中がズキンズキンと痛い。
 最初に習った技は背負い投げじゃったと思う。とにかくこれしかない思いで背負い投げを繰り返し練習した記憶がある。まだ背が伸びる前じゃったし(対戦相手の背が低すぎると技に入るのがむずかしい)、この技が妙にしっくりきて、背が伸びるまでは一番の得意技となった。
 第1回目の校内予選、わしの思いは実力へ変わっとった。強うなっとった。組んだ瞬間勝てると思うたヤツには全部勝てた、はたから見たら形にもなってなかった技じゃったと思うが人を投げた。組み合った瞬間これはまだ実力が違いすぎると感じたヤツには当然全部負けた。なんかちょっとの自信とやりがいが湧いてきた。
 校内予選が終わって順位の変更がありやっと「下っ端」から抜け出せた。替わりに「下っ端」になったヤツは気の毒じゃが・・・。複雑な心境じゃったことを今も思い出す。

 入部してちょっとしてから3年の黒帯の先輩に言われたことを目標に、このへんから頑張るようになった。「おまえも3年の5月の昇段試験で黒帯取れよ」
 当然、友達がおっていっしょにがんばれたんじゃけど。
 
 練習はきつかった、当然休みはほとんどない。
 夏休みなんか、練習が終わったあとのコカコーラ500mlが楽しみで楽しみで。
 しかし、身体も絞れて当時の写真を見たら腹筋が割れとる。で、痩せて筋力がついたんで足もそこそこ速うなった。体育の授業が苦でなくなった。

 柔道が強うなっていくんが自分でわかった。

 1年が経って、縦社会を教えてくれ、がんばる気持ちを与えてくれ、背負い投げを教えてくれた先生は教員だったのでとなりの中学へ転校された。
 替わりに鉄道公安官をされている方が教えに来られた。やはり、きっつい練習じゃった。輪をかけたきつさじゃったかもしれん。
 しかし、怠けたい年頃で、ずる休み、しかも1週間。
 1週間目の祭りの夜にばったりと先生とはちあわせ、ずる休みの3人じゃったか4人じゃったか、このときゃあ背筋がピーンと伸びきった。そこで先生は笑顔で「明日、道場に来てくださいね」とやさしく一言。
 で、あくる日道場で正座して、
 先生「辞めるヤツは帰れ、辞めんヤツは歯をくいしばれ」と、わしら辞めるつもりはないんで歯をくいしばると、バチーンと一発今までの人生でくろうたビンタの中で一番のやつが飛んできた。当分、頬べたが痺れとった。反省した。ありがたいビンタじゃた。それからは休んでないはず。

 先輩の言葉を目標とした3年の5月に黒帯になれた。
 当時の校長先生と記念写真を撮ってもろうた。今の時代とは違うんじゃ。校長先生と気軽に話すことなんかできゃーせんし、緊張した、なんか誇らしかった。
 きっつい練習の成果が出てきて郡体で優勝できるまでになった。群体とは昔の佐伯郡の大会のことで、五日市、廿日市、大野、大竹、一部の島諸部のこと。
 そうなると今度の目標は県体で優勝して全国に行くことになった。
 この県体で未だに忘れることのできない、そしておそらく一生忘れることのできないポカをわしがおかしてしまう。準決勝ぐらいじゃったと思うが安佐中との試合で組み合ったまま動かないことにしびれを切らし、わしが腰の抜けた中途半端な「体落とし」を掛けたところを返されて「技あり」を奪われた。このわしの負けが最後まで響いて負けてしもうた。全国に行けんようになった。みんなに申し訳がなかった。先生にも申し訳がなかった。先生はすでに全国大会のために仕事を休む段取りをしていた。
 
 全国大会に行ったんは結局、わしが1年のとき教わった先生が率いる中学じゃった。

 全国大会のために先生が仕事を休んでくれた何日かは、激しい練習を行った。

 3年生の引退は必ず訪れる。あんなに苦しかった練習なのに、嫌じゃった練習なのに中学柔道部引退の日は心に穴があいた。泣きそうじゃった。


 高校は広島工業大学付属広島高等学校、廿日市中学校の一つ上の先輩で主将じゃった「マエダさん」がすぐ迎えに来られた。柔道部に入れと。すぐ入部したが、これがすごい顔ぶれ、1年の入部したやつのほとんどが「ツッパリ」、なんじゃこいつらは。後で聞いた話じゃが、わしが黒帯で腹たつんでやっつける計画じゃったとか。まあすぐ仲良しになったけえ、やられんかったけど。
 
 高校時代は柔道の練習より遊ぶほうに目覚めてしもうて。
 「ツッパリ」達と遊ぶんはおもしろかった。色んなことを教えてもろうた。
 ただ1年のときゃあ中学の貯金でそこそこ試合じゃあ勝てた、が結局遊びたい気持ちが勝ってしもうて2年の秋に柔道部を辞めた。辞めた当時、主将じゃった、責任感も何もないただの遊び人になってたんじゃね。
 
 この時点で、わしの柔道が終わった。

 今思やあ柔道部を辞めてからの遊びで、ためになる色んな経験をしたんじゃが、それよりも柔道部を辞めた後悔の大きさが勝っとるんよね。
 今、すごい後悔しとる。柔道部を辞めたことをすごい後悔しとる。


 先日、偶然にもホームセンターで高校の柔道部の「ヒノ先生」に会った。20年ぶりに。
 ずっと先生に言いたい言葉があって、胸の中が苦しかった。
 「先生、柔道部を辞めたことをずっと後悔していました。」
 この言葉を伝えることがやっとできた。一番の恩師に。



少林寺拳法編につづく

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

じゃんれの
2007年09月29日 18:21
へえ~~~~
やんちゃじゃったんじゃのう・・
キーアイ
2007年10月01日 14:48
小心者なんでツッパリきれんヤツですよ。

この記事へのトラックバック